ブラウン・ランドーン博士

完全な不老を実現した博士!98歳で50代にしか見えず完全に健康なままこの世を去りました。

外見だけでなくすべてにおいて若かった博士の生き方と手法についてご紹介します

 

ブラウン・ランドーン博士

幕末のアメリカに1人の少年がいました。彼は病弱に生まれつきました。そして、3歳の年には父親の砂糖工場の機械に巻き込まれ、膝から下まで、片足がめちゃめちゃにつぶされてしまいました。また、今では心臓の移植が必要なほどの、重篤な心臓病で車椅子の生活を送っていました。階段を上ることが出来ずに気を失ってしまうほどに体が弱かったのです。

彼の心臓病は、父親と同じ全く同じ症状でした。父親の心臓は牛の心臓ほどに肥大し、医師も手の施しようがありませんでした。17歳の春、父親が亡くなりました。父と全く同じ病気を持つ少年は、医師たちによってあと3ヶ月しか生きられないと宣告されました。

その時の少年の心は死への不安と恐怖との戦いだったのではないでしょうか。自分と全く同じ、重篤な心臓病の父が亡くなり、医師にも余命3ヶ月を宣告された少年は、心に固く決意しました。”生きよう、僕は生きるんだ!”

 

少年は、その後どうなったのでしょうか。

それからわずか数年後、彼は医師団を吃驚仰天させました。6年後には、疑り深い医師団でさえ、完治していると言わざるを得ないほど、彼の心臓は完璧なものとなりました。(足も再生させています。これは独自の運動瞑想によるところが大きかったと考えます。、私の小本では、肉体の無意識からの解放、に詳しいです)彼の用いた浄化のための方法、それが蒸留水でした。

ランドーン博士はその後、98歳で完全に健康なままこの世をさるまで、医師として、数えきれないほど多くの人を癒し、その風貌は50代にしか見えませんでした。毎日、18時間から22時間を活動し、医師として、クリスチャンとして、また経営コンサルタントや建築学、神秘主義など、幅広く活躍しています。

ランドーン博士の不思議な方法と題したのは、博士の方法が非常にユニークであるだけではなく、現代の科学がやっと証明出来るようになったもの、まだ科学が追い付かないものがあるからでした。また、神秘家でもある博士は、多くの不思議な体験を持ちます。

数十秒の時間の中で、複数の異なった人生を、それぞれ何年間も体験するという、中国の胡蝶の夢を思わせるような体験や、前世記憶の完全覚醒、予知などです。博士の本、”肉体の無意識からの解放”では、運動瞑想が紹介されています。これは、体が勝手に自己の解放と治癒を始めてしまう、というものです。食品で博士がサラリと毎日取り入れているものの中には、現在抗がん作用などの優れた働きでやっと注目されたスプラウト(芽だし野菜)もあります。これは今から60年以上、恐らく博士の若い頃、100年以上前にはすに博士によって使われていたというのは驚くべき事です。

ランドーン博士は、”不思議な触媒食品”の中で、出来る事なら、沢山の患者さん達の写真をお見せしたいのです、とまで述べています。それほどに、博士だけではなく、患者さん達もこぞって若返っていました。そして、その驚くべき患者の1人に、70歳まで寝たきりで全く身動き出来なかったダイヤモンド船長がいます。彼は70歳から身体の浄化を始めました。その結果、動けるようになったどころではありません。100歳を越えて、アメリカ大陸を徒歩で横断しているのです。